2009年04月22日

秀歌鑑賞 by・斉藤真伸

「草食獣系歌人」

みなさん、こんにちは。斉藤真伸です。

前回のお題「建物」にちなみまして、次のような歌を紹介したいと思います。

・城として機能してゐし頃ならば仰ぐほかよりなき天守閣

 吉岡生夫さんの『草食獣【隠棲篇】』(青磁社)という歌集から引きました。吉岡さんは「短歌人」に所属する歌人で、ひょうひょうとした文体の底に、鋭い批評精神を隠し持った作品を作る人です。

 さて、掲出歌ですが、この歌のあとに

・白虎隊自刀の跡に立ちたれど城も天守もしかとわからぬ

とありますので、歴史に詳しい人間ならば、「あ、会津若松城だ」とすぐわかります。

 ですが、これは会津若松城だけを詠んだ歌ではありません。

 城というのは、いまでこそその土地の文化遺産か観光資源でしかありませんが、江戸時代以前はリアルな「政治権力」が存在する場所でした。農民や町民にとって天守閣は、まさに「仰ぐほかよりなき」場所なのです。日本の城の象徴ともいえる「天守閣」の元祖は織田信長の安土城だといわれてます。自分の力を四方に見せつける意味合いも強かったのでしょうね。信長はそういうことがよくわかっている人物でした。
 一首の肝として意識すべきは「機能してゐし」でしょう。
 「権力」は、人間が人間を支配するための仕組みですが、「支配する側の人間」が勝手気ままに振る舞えたかというと、そうではありません。支配者もまたそれなりに、慣習。法令、伝統といったものに縛られていました。この歌が描き出そうとしたのは、実はそう言った「権力システム」です。作者は「機能」という言葉にそういった意味合いを含ませていると読むべきでしょう。
 しかし、どんな政治権力も永遠のものではありません。「城」が象徴した武士の時代はとうに過ぎ去りました。「ゐし」という過去形が、シンプルかつ的確に、そういった歴史の流れを表しています。

 「歴史」という言葉で、土屋文明の次の一首を思い出しました。これもシンプルさのなかに、膨大な歴史をぎゅっと圧縮した一首です。

・古墓(ふるはか)の木戸(きど)開(ひら)く手に銭(ぜに)を受く亡(ほろ)びし民(たみ)か亡(ほろ)ぼしし民(たみ)か
(『ゆづる葉の下』)


 『草食獣【隠棲篇】』からもう一首引いてみます。

・硝子戸のガラスは均等ならずしてそこばく歪む大正の庭

 たぶん技術上の限界だったんでしょうけど、明治・大正期の窓ガラスって、いまの硝子のように完全な真っ平らじゃないんですよね。ですからそれを通して外を見ると、微妙に歪んでみえます。この一首はその情景をうまく捉えています。「そこばく歪む大正の庭」をどう読むかはさまざまでしょうが、「大正ってどんな時代だったんだろ。けど、どうやっても自分がそれを実体験することはできないんだよなぁ」という作者の慨嘆として僕は読みました。
 この歌に出てくるような「ガラス戸」を実体験したい方は、東京都小金井市の「江戸東京たてもの園」の高橋是清邸などを訪れるといいでしょう。ちなみに「江戸東京たてもの園」は、かの宮崎駿監督のお気に入りの場所でもあります。

 吉岡さんの作品は実にシンプルですが、その分言葉の味わいというものを知り尽くしている人なので、実作上も参考になることが多いと思います。

ところで、こんな歌もあるんですよね…。

・わが建てし家はすこしくかたむきてボールペン走るテーブルの上
posted by www.sasatanka.com at 01:14| Comment(2) | TrackBack(0) | 秀歌鑑賞(by・斉藤真伸) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>白虎隊自刀<br />
<br />
もしかして「自刃」の誤植ではないでしょうか。
Posted by 船山登 at 2009年05月11日 13:05
>船山登さま<br />
<br />
ご指摘ありがとうございます。僕のチョンボです。<br />
お恥ずかしい。
Posted by 斉藤真伸 at 2009年05月11日 23:27
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