「林檎姦通事件」
・君かへす朝の敷石(しきいし)さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ
さて、前回に続いて北原白秋の『桐の花』を紹介していきたいと思います。
岩波文庫『北原白秋歌集』(高野公彦編)付録の「年譜」によれば、明治四三(一九一〇)年九月に白秋は東京府下千駄ケ谷町(現・渋谷区神宮前)に引っ越してくるのですが、そのとき、隣家に住む松下俊子という人妻と知りあいます。白秋二五歳のときのことです。
この俊子夫人、不幸な結婚をしておりまして、詳述は避けますが相当ひどい目にあっていたようです。そんな俊子の境遇に同情したのかどうかは知りませんが、白秋は彼女と恋におちます。『桐の花』には、そんな俊子(もちろん彼女の名前は伏せてありますが)との不倫の恋の歌が多く収録されています。
さて、掲出歌ですが、「春を待つ間」という章の中の一首です。「君かへす」と初句で歌の状況を簡潔に説明し、「朝の敷石(しきいし)さくさくと」と具体的描写で読者の視覚的聴覚的イメージを喚起しています。「さくさくと」の後に続くべき「踏む」という語を省略しているのもうまい。そして下句の「雪よ林檎の香のごとくふれ」というフレーズで読者を、現実を離れた別世界へ誘っています。
朝帰っていくのですから、「情事のあと」と考えるのが自然でしょう。「ふれ」という命令形には、「雪よこのか弱い女性をどうか守って欲しい」という願いが込められているのでしょうか。
「林檎の香」は、雪を俊子が踏んで帰るときの「さくさく」という音が、白秋の心のなかで林檎を噛むときの音がと偶然重なったのでしょう。もしくは、「不倫」という「禁忌」を犯しているという意識が、旧約聖書の「アダムとイブ」の下りを思い起こさせたのかもしれません。あの話では、「林檎」は、神が人間に食べることを禁じた果実でした。
いずれにせよ、おそろしく微細な感覚と空想力、そのどちらを欠いても成立しない歌です。
・薄青き路上の雪よあまつさへ日てりかがやき人妻のゆく
・雪の夜の紅(あか)きゐろりにすり寄りつ人妻とわれと何とすべけむ
・狂ほしき夜は明けにけり浅みどりキヤベツ畑に雪はふりつつ
・わかき日は赤き胡椒の実のごとくかなしや雪にうづもれにけり
掲出歌の前後にはこのような歌が並んでいます。「薄青き路上の雪」、「雪の夜の紅(あか)きゐろり」、「浅みどりキヤベツ畑」、「赤き胡椒の実」といった描写に注目していただきたいですね。
白秋は、茂吉をはじめとする「アララギ派」と比較されることが多いのですが、その「写実派」をしのぐかも知れない描写力を持っていたことは、ぜひ憶えておきたいところです。
白秋と俊子の関係はその後も続くのですが、明治四五(一九一二)年に、「姦通罪」の容疑で二人は捕らえられ、共に市谷の未決監に収監されてしまいます。俊子の夫の訴えによるものでした。
これは文学者の白秋の大きな転機だとされています。そしてこの監獄でのことを歌で綴ったのが、『桐の花』収録の「哀傷篇」です。
次回はこの一連を取り上げたいと思います。
白秋のことはよく知られておりますが松下俊子なる女性のことは、白秋と分かれてからどのような人生を送ったのか興味を持っています。昭和29年相模国立病院にて病没したところまでは分かって下りますがその間戦前戦後をどうしていたかをご存じでしたらお教え願いませんでしょうか。 よろしくお願い申し上げます。<br />
以上
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僕も正直、俊子のその後についてはよく知らないんです。ですが、今回参考にした島田修二・田谷鋭『北原白秋』(桜楓社)によれば、薮田義雄という人の『評伝北原白秋』(玉川大学出版部)がかなり詳細な白秋伝だそうですので、もしかしたらこの本に俊子のその後も書いてあるかもしれません。<br />
でも、かなり古い本ですので、文学部のある大学で図書館を一般に開放しているところで捜した方がいいかもしれませんね。