2009年02月26日

秀歌鑑賞



「薬壜」 

みなさん、こんにちは。斉藤真伸です。
前回に引き続き、長塚節の「鍼(はり)の如く」を紹介していきたいと思います。

長塚節の三十七年の生涯を一言で言い表すなら、それはズバリ「失望」でしょう。節は生来病弱だったため、中学校(旧制)も中退しなければなりませんでした。実家は大地主でしたが、節の父が政治活動にかまけて家業をかえりみなくなったために衰退。生家の復興のために、節はたいへんな苦労をするはめになります。

 二十歳ごろ、正岡子規に弟子入りしますが、その子規も明治三十五(一九〇二)年にあっさり他界。その後、子規の弟子たちによって創刊された「アララギ」に参加しますが、この間、同門同志の諍いに巻き込まれたりして、だいぶ神経をすり減らします。

 生涯に何度かあった縁談はすべて破談。夏目漱石の紹介で朝日新聞に小説「土」を連載しますが、読者の反応はイマイチ。そうこうするうちに結核を患い、それがもとで命を落とします。節の評価がさだまったのは死後のことで、生前はさほどの名声は得られませんでした。節の生涯については、藤沢周平の小説『白き瓶』(文春文庫)に詳しく書かれています。


・春雨にぬれてとどけば見すまじき手紙の糊もはげて居にけり

 「鍼の如く 其一」(大正三年)より。節の歌のなかでも有名な一首です。「見すまじき」は「(他人に)見せてはならない」の意。「病院の生活も既に久しく成りにける程に、四月二十七日、夜おそく手紙つきぬ、女の手なり」という詞書が付せられています。
 この「女」とは、実は節の婚約者のことです。このときの縁談はけっこういいところまで話が進んだのですが、節の病気が原因で結局実を結びませんでした。この歌は破談になる直前の出来事を描いています。なんで「見すまじき」かと言うと、相手の女性は、家族から節に会うことを反対されていたからです。
 描写、ドラマ性、作者の心理。そういったものがぎゅっと凝縮された一首だと思います。この手紙は他人に見せてはならない。うっかり見せたら大変なことになる。それなのにその封は、糊がはげて解かれてしまっている…。心理的にはたいへん緊迫した場面なんですが、言葉のトーンはぎりぎりまで抑えられています。
 そしてこの歌のすぐあとはこんな一首です。

・薬壜(くすりびん)さがしもてれば行く春のしどろに草の花活(い)けにけり

 「五月六日、立ふぢ、きんせん、ひめじをん、などくさぐさの花もて来てくれぬ、手紙の主なり、寂しき枕頭(ちんとう)にとりもあへず」という詞書がります。婚約者が花を持って、節を見舞ってくれたのです。詞書からはなんとなく慌てた感じがするのが面白いですね。「花を活ける」というシチュエーションは、前回紹介した「白埴(しらはに)の瓶(かめ)こそよけれ霧ながら朝はつめたき水くみにけり」と共通するものがあります。この来訪は節を感激させました。

・いささかも濁れる水をかへさせて冷たからむと手も触れて見し

 という一首もこの時のものです。この来訪からほどなくして、二人の関係は破局を迎えます。節の病気を忌避した彼女の家族が、二人の仲を完全に断ち切ってしまったのです。

 今回は「其一」からのみの紹介になりましたが、節の他の歌については、また機会を改めてご紹介したいと思います。

 以前岩波文庫から『長塚節歌集』が出ていましたが、現在品切のようです。僕の持っているのは旺文社文庫版ですが、こちらはとうの昔にレーベルごと絶版です。ですから、節の作品をまとめて読もうと思ったら、図書館へ行くしかありません。各種アンソロジーにもよく収録されてますけどね。
 同時期の歌人、例えば石川啄木なんかと比べると、節の歌の一般的な人気は確かにもうひとつなんですが、せめて「鍼の如く」の一連だけでも、機会があれば一回は目を通していただきたいと思います。その際は「客観写生」だなんだかんだと小難しいことを考える必要はないと思います。まずどんどん読んで下さい。

それではまた。
posted by www.sasatanka.com at 06:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 秀歌鑑賞(by・斉藤真伸) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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