「あれは、いいものだ!!」
みなさんこんにちは。斉藤真伸です。
岡井隆さんが結社誌「未来」二月号の「感想」という欄に、ちょっと興味深いことを書いていたので、ご紹介したいと思います。NHK全国短歌大会の作品や選評について触れたくだりです。
「(前略)多少気になることがある。それは全体に、『おもしろい』歌がとられやすいということだ。どこか気がきいていて歌の中に批評精神が目立つ歌。それは江戸時代でいえば、狂歌、あるいは川柳雑俳(中略)のおもしろさに通じる。それに比べると和歌は、まともだがおもしろくない。固苦しくて退屈だ。しかし、あえていうが、短歌は、そのまともさに特質があるので一つのことを調べの豊かさで言い切ってしまうところがまさに『うた』なのである。」(p159)
まあ、僕なりに解釈すれば、「一つのことを調べの豊かさで言い切ってしまうところこそ短歌の肝であり、内容の面白さや批評精神なんてものはそのあとからついてくる二義的なものだ」というところでしょうか。じゃあご当人の歌はどうなんですか、と言いたいところなんですが、「自分自身も、結構、狂歌風のおもしろがりや風刺性がすきではあるので、多少自作をうら切る言い分になるが」とこの後にしっかり書いてある辺りが老獪というかなんというか。食えないお人だ。
それはさておき、この一文を読んだときに思い浮かんだのは次の一首でした。
・白埴(しらはに)の瓶(かめ)こそよけれ霧ながら朝はつめたき水くみにけり
作者は長塚節。文学史には必ず名前が出てくる人です。小説「土」の作者として有名ですね。明治十二(一八七九)年茨城県生まれ。大正四(一九一五)年に三十七歳で没しています。
この歌はもともと節の友人で歌人兼画家の平福百水が描いた秋海棠の絵の画讃(絵の説明として添える文章)として作られました。すから「(この秋海棠を活けるのに)白埴の瓶などいいではないか。霧のなか、その白埴の瓶に朝のつめたい水を汲んできた」といったところでしょうか。内容自体はさして面白いものではありません。ですから、この一首が長塚節の、いや近代短歌の名歌たる所以は、「一つのことを調べの豊かさで言い切ってしまうところ」にこそあると言えましょう。
ところで、この一首は「画讃」です。「実景」から作られたものではありません。ですから、秋海棠の絵をみた瞬間に、節の脳裏に浮かんだ想像から生まれた一首です。それなのに歌の内容が、「実景」以上に生々しく、しかも精気をともなって読者に迫ってきます。「朝はつめたき水」の感触が手のひらに伝わってくるかのようではないですか。
節は短歌史的には「正岡子規の唱えた写生という概念を受け継ぎ、発展させた人」という扱いになっています。しかしその一番広く知られている作品が、「想像力」から生まれたというのもなかなか面白い話ですね。もちろん、その想像力を鍛えてくれたのも、節のいう「客観写生」なんですが。
この「白埴」の一首は、「鍼(はり)の如(ごと)く 其(その)一」という連作の冒頭に置かれています。「鍼の如く」は「其五」まであり、長塚節生涯最後の作品群としてよく知られています。
次回もこの「鍼の如く」を紹介すると同時に、節の生涯にも詳しく触れてみたいと思います。