笹井くんショックはまだ続いていますが、
彼の短歌と作歌活動を称えて、
「特別殿堂入り投稿者コーナー」を設置することを決めました。
J-WAVE「M+」「笹公人の短歌Blog」時代(ささね名義)からの投稿作品をまとめて掲載しようと思います。
「M+」が終了したら、あのページも閉鎖されてしまうと思うので、いまのうちに管理しておかなければと考えました。
コメント欄はすでに削除されてしまったので、
採らなかった歌を見つけられなかったのはとても残念です。
資料としてもお役に立てれば幸いです。
本当は真っ先に笹井くんのコーナーをつくりたかったのですが、
彼には歌壇で活躍してほしかったので、
あえて心を鬼にしてコーナーをつくりませんでした。
笹井くん的にはコーナーを持ちたいと思ってがんばってくれていた部分もあったのですが、
当時から結社「未来」に入会しそうな気配があったので、
入会したあとは結社にエネルギーを集中してもらうのが彼にとって一番良いと考え、そのようにしたのでした。
当時は、3回「最優秀作品」に選ばれると、コーナーが持てるという約束だったので、2回目以降はわざと「優秀作品」以下に選んでいました。
本当は「最優秀作品」だった歌が何首もあるのですが……。
彼が「未来賞」を受賞した時に、お祝いの言葉とともにそのことを伝えました。
彼はとても感謝してくれました。
彼の驚異的な多作ぶりを考えると、そんなことを気にする必要はなかったのかもしれない……とも思いますが、
それもいまとなってはの話です。
素晴らしい短歌でわれわれを楽しませ、驚かせてくれた笹井くんに「特別殿堂入り投稿者コーナー」をもって御礼したいと思います。
「新・あきえもんアワー」の上に設置します。
彼に会いたくなったらいつでもコーナーに遊びに来てください。
斉藤真伸さんの秀歌鑑賞が届きました。
今回は中澤系さんの歌です。
中澤さんは「未来」の先輩で、お世話になっていました。
とても辛口な人でしたが、僕の歌にはなぜか好意的で、
いろいろフォローして頂いたことが忘れられません。
中澤さんもまた伝説の歌人となるでしょう。
では、お楽しみください。
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斉藤真伸です。
「3番線のザジ」
・3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって
この一首を一言で言ってしまえば、言葉によるだまし絵です。日本人ならば「3番線快速電車が通過します」という言葉を理解できない人はほとんどいないでしょう。しかし「理解できない人は下がって」とはいったいなんのことか。「3番線快速電車が通過します」の言葉の意味が理解できないならば、「理解できない人は下がって」も“理解”できないのではないか。そもそも、「理解できる人」はどこへ行けばいいのか。
こういう始めから“理解”を拒否したような歌の、ひとつひとつの言葉の意味を考えたってしょうがありません。しかし、つい考えてしまう。考えはぐるぐるまわって、まるでアリ地獄のように…。
この歌の作者は中澤系さん。1970年、生まれで「未来」短歌会に所属しています。しかし、現在作品はまったく作っていません。短歌をやめたのではなく、病に冒されたからです。病名は副腎白質ジストロフィー。進行性の難病です。
中澤さんのこの病気が発症したのが2001年ごろ。そして「未来」2002年七月号の作品を最後に、中澤さんは「未来」から姿を消してしまいます。2003年に、同じ「未来」のさいかち真さんが中心となって、『uta 0001.txt』(雁書館)という歌集が編まれました。中澤さんの師である岡井隆さんは、歌集の「解説」のなかで、「そのあと(斉藤注・2000年ごろ)、中澤さんの歌は、急に崩れはじめた。送られて来た歌稿の字も、乱れ勝ちになつた。内容も、とりとめのない独り言めいて来た。まつたく何を書かれてゐるのかわからないやうな、メモめいた歌もあり、定型が守られなくなつた。わたしは、この人の才能をふかく信頼してゐたので、この突然の変貌におどろくとともに、惜しいと思つた。その原因をきいて知つたのは、大分あとのことだつた。」と書き記しています。中澤さんという人間が「壊れていく」過程が簡潔に述べられており、かなり怖い文章です。
中澤さんの歌のテーマは、おおざっぱに言えば、現代の社会システム、いや、人間存在そのものへの深刻な懐疑です。われわれが強固に信じている社会やルールなんてものは、実はあっけなく霧散してしまうものではないか。
・tariff ああ昨日の夜はなにごともなかったよ交番に白墨
・ぼくの死でない死はある日指先に染み入るおろし生姜のにおい
・あいさずに生きてもぼくのまわりにはフレンチフライの香りが残る
社会システム(それは当然言語も含みます)への懐疑というのは、現代思想の重要なテーマですが、中澤短歌の面白さはそれを「言葉のだまし絵」で見せてしまうところにあります。つまり、現代思想家たちが何冊もの書物で語るものを、わずか三十一音で語ってしまおうという凄みです。岡井さんも前出の「解説」の中で、「短歌といふ詩のよさは、さういふ抽象的思考と、キャンディーや扇風機や唾液といつた物とからませて表現できるところにあらう。」と述べています。いいかえれば、抽象的思考が「詩」の形をとるには、何らかの媒介物が必要なのです。その媒介物さえみつかれば、短歌という三十一音の詩型に、表現できない思想などなくなってしまうのです。
・駅前でティッシュを配る人にまた御辞儀をしたよそのシステムに
・牛乳のパックの口を開けたもう死んでもいいというくらい完璧に
『uta 0001.txt』の中から、僕の特に好きな歌を二首あげました。特に「牛乳のパック」からは、現世から解き放たれるようなすがすがしさを感じるときがあります(つまりは死の匂いですが)。
『uta 0001.txt』は、版元が廃業してしまったせいもあって、現在入手困難です。ですが手に入れる機会があったら、絶対に逃すべきではありません。この歌集には永遠に完成されるも完結することのない「何か」があります。この本の最後の一首が次のような歌なのは、決して偶然ではないでしょう。
・ぼくたちはこわれてしまったぼくたちはこわれてしまったぼくたちはこわ