斉藤真伸です。
この前角川書店の『合本 俳句歳時記 第三版』をパラパラめくってたら、「冬」の季語として「闇汁」という言葉が載っているのを見つけてしまいました。
これはいわゆる「闇鍋」のことで、「灯を消した室内で、持ち寄ってきた食べ物を鍋の中に手当たり次第に放り込んで煮て食べる。」ことです。こんな季語があるなんて気づきませんでした。
例句として載っている作品がなかなか面白いです。
・闇汁のわが入れしものわが掬(すく)い
草野駝王
これは「あるあるネタ」でしょうか。
・闇汁の闇のつづきに渡し舟
澁谷 道
なかなか幻想的ですね。
・闇汁の闇に正座の師ありけり
佐藤貴白草
「写実」の歌なんですが、上の歌に通じるような幻想味があります。「正座」の一語が、師の性格や風貌をそこはかとなく匂わせていて、うまい。
しかし、こんなとんでもない作品もあります。
・闇汁に河豚を入れたること言はず
小田実希次
もちろん、しかるべき人間が捌いたものなんでしょうが…。確かに言ってしまったら殴り合いじゃすまなさそうです。
「歳時記」はもちろん俳句の季語を集めた本なんですが、短歌の創作や作品鑑賞にもかなり役立ちます。膨大な数の言葉が載ってますから、読むたびに、自分がそれまで知らなかった言葉や事象に出会えることが多いからです。歌人にも「歌がつくれなくなると歳時記を読む」という人は大勢います。同じ定型詩でも異質なモノとぶつかることによって、自分の心や言葉の感覚を刺激するんだそうです。
僕自身、「歳時記」を読むことで生まれた作品は何首もあります。これは春の季語ですが、「冴返(さえかへ)る」(いったん緩んだ寒さが、またぶり返すこと)という言葉に出会った時は、次のような一首ができました。
・冴返るけさのわが家に厚紙かなにかを破る音がしている (斉藤真伸)
俳句は短歌と比べると、安易に新語を取り入れないと一般に言われています。確かに「歳時記」を読むと、「いまどきこれはないだろう」という語も多いんですが、見方を変えれば、かつての社会や生活を知る役には十分たちます。
そしてなにより、「歳時記」自体が俳句の巨大なアンソロジーです。読み物として十二分に面白い。
みなさんも機会がありましたら、「歳時記」を一回手に取ってみてください。
それではまた。