「鳥モツの行方」

・おとうとよ忘るるなかれ天翔ける鳥たちおもき内臓もつを

“おとうと”は、この一首に限っていえば、実体を持った存在ではなく、歌の内容を深めるための役割を帯びたキャラクターとして捉えた方がいいでしょう。どんなに気の利いた言葉でも、自分ひとりだけで呟いているだけでは滑稽なだけです。この歌の場合、読者と作者の間に“おとうと”という存在を置くことによって、下句の言葉が「独り言」に終わってしまうのを回避しています。

この歌の作者は伊藤一彦さん。笹師範の宮崎旅行記に登場した歌人ですから、みなさんもう名前はご存知だと思います。一九四三年宮崎県生まれ。大学卒業後は宮崎県に戻り、故郷の風土に根ざした歌を作り続けています。この歌は
歌集『瞑鳥記』に収録されています。

・白鳥(しらとり)は哀(かな)しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ
という作品は、中学高校の国語教科書には必ず載っているはずです。この歌もまた、己のなかの純粋性と「現実」との葛藤がテーマになっています。伊藤さんが牧水のこの一首を意識しなかったはずはありません。なにせ三省堂『現代短歌大事典』の若山牧水の項の執筆者は伊藤一彦なんですから。
牧水の一首と比べますと、伊藤さんの「おとうと〜」の歌は、「現実と正面から対決しよう」という意識がより明確であるように思います。「忘るるなかれ」には、文字通り「現実を忘れるな」という警告と、「現実を空想の翼で乗り越えてしまえ」という励ましの両方が込められているように思えます。
伊藤さんは作品も人柄も「真面目だなー」としばしば思うんですが、それだけに終わらないのは、その胸の裡に厳しくも激しいロマンチシズムを抱え込んでいるからでしょう。そして故郷・宮崎への愛情。
一九九五年刊行の伊藤さんの第六歌集『海号の歌』の冒頭に、「旅人」という僕の大好きな連作があります。
・わが家の濃き影の中ひむかしへ吹きぬけてゆく風は旅人
・はるかなる海を月かげ浴びながら憩(やす)まず飛ぶか鳥は旅人
・冬川の底にかがやき天降(あも)りたるものにあらねど石は旅人
・こまやかに光満ちゐる水の上(へ)をかげなく過ぐる霊は旅人
・垂乳根(たらちね)の母をむらさきつつみゐるゆふべ不在の父は旅人
・あらたまるなき人間(じんかん)を照らしつつしろがね円(まろ)き月は旅人
・緑濃き曼珠沙華の葉に屈まりてどこにも往かぬ人も旅人
・極月の竹のはやしに目をつむりわれ消してをり時は旅人
それぞれ異なる光景が「〜は旅人」というフレーズによってひとつにつながり、だんだんと作者の人生観というか世界観が形作られていく様は圧巻です。僕は三首目が一番好きですね。
