今回紹介するのは江戸雪さんの歌集『椿夜』(砂子屋書房・二〇〇一年刊)です。江戸雪さんは「塔短歌会」所属の女性歌人として有名です。
・それにしても君は静かだしまうまが縞を翳らすゆうぐれのなか
この歌の「しまうま」が実際のものかどうかを議論するのは全く意味がないことでしょう。むしろそこに込められた作者の心情に想いを巡らす方が面白い(ユニークな相聞歌です)。「縞を翳らす」という描写がみごと。この描写が読者の心に突き刺さるからこそ、この一首は確かな「リアリティ」を得ることができるのです。言い換えれば、「しまうま」がただいるだけでは「絵空事」としか感じられないのに、「縞を翳らす」という描写が付加されることによって、読者は「しまうま」から“生命力”を感じることができるのです。
・改札をぬけて放った傘の黄を身にかざしたら逢いたくなるよ
これも相聞歌。想い人に逢いにいく途中でしょうか。「改札をぬけて放った傘の黄」という印象的な描写が歌を引き締めています。
歌集の帯で、江戸さんの師である河野裕子さんが「手ざわりのある身体感覚」という言葉を用いています。この「手ざわり」や「身体感覚」は、言い換えれば「リアリティ」ということです。
「私は彼(彼女)のことが好き」ということだけ述べていては、つまらない相聞歌にしかなりません。なぜなら読者からすれば「ああそうですか」という言葉しか浮かばないからです。江戸さんの作品と凡百の相聞歌との違いは、「縞を翳らす」「改札をぬけて放った傘の黄」という印象的で鮮烈なイメージがあるかないかに尽きます。人は他人の「のろけ話」には苦笑しかしませんが、鮮烈なイメージには心を動かされます。
・社会人になっちゃいましたとメイル来る春の机の刃のような光(かげ)
このメイルの送り主についての情報はまったくありませんが、「なっちゃいました」という口ぶりから、学校を出てしばらく職につかずぶらぶらしていた人かもしれません。「春の机の刃のような光」という描写に、作者の「彼(彼女)」を応援する気持ちと、「この人大丈夫かしら」という危惧の両方が込められています。
他にも紹介したい作品はありますが、今回はこのくらいで。江戸さんは歌壇外での読者をもっと得てもいい作者だと僕なんかは思います。それだけのポピュラリティと愛唱性は備えている作者です。