


明治の志士に対して失礼だろ!




卑弥呼を詠んだ歌が13首もあって、
ザビエル、野口英世、福沢諭吉を詠んだ歌もあるのに、
大久保利通、木戸孝允、大隈重信を詠んだ歌は1首もなかったからね。





しかも「いぶし銀」的な存在の・・・・・・。

まぁでも、うちのBlogはそういう方向が強いから、いいんですよ。

朱川湊人×笹公人
「遊星ハグルマ装置」
更新されました!
今回は僕の短歌「ガロの夜」です。
今年も開催されました!
みんなでSTOP STD!
第3回「好きな人に贈る百人一首」短歌コンテスト2008
応募期間: 2008年7月1日(火)〜10月31日(金)
結果発表: 2008年12月下旬〜2009年1月初旬、弊社ホームページ上で発表します。
賞 品: 入選作100首に対し、作者各位に図書カード(10,000円相当)および、やくみつる氏のイラスト入りオリジナル入選作品集を贈呈します。また、STD予防啓発活動にご協力いただいた学校へは別途特別賞を授与します。賞品の発送は2月中を予定しています。
選 者: 梅内美華子、笹公人、海原純子、やくみつる
詳しくは特設サイトをご覧ください。

こんなにおいしいコンテストはなかなかないですよ。
1万円あれば笹ワールドセット(全著作5冊)を買っても、お釣りがきちゃうからね。


ところで、梅内さんって「角川短歌賞」の選考委員になったんだね。スゲエ・・・・・・。
7月5日(土)発売の
「図書新聞」
の8面をまるごと使った僕のロングインタビューが載ります。
1回では収まりきらず(どんだけ喋ったのか・・・)2週連続で載ります。
興味のある方はぜひご覧ください。
朝日カルチャーセンター新宿教室にて
講座を行います!!
「念力短歌トレーニング」
曜日:水 時間:19:00-20:30
回数:全3回
日程:7/23, 8/27, 9/24

『念力短歌トレーニング』(扶桑社)をテキストにします。
単行本未収録原稿もテキストにします。
いまのままでは第二弾が出そうにないので、
ぜひ記念にゲットしていただきたいです。
『短歌往来』(ながらみ書房)
という雑誌から「カルチャーのうた」という原稿を依頼されていて、 その原稿の締め切りが7月末日なので、 23日の講座に提出された歌の中から16首を掲載させて頂きます。
ほとんどの人の歌が載ることになると思います。
この機会にぜひ短歌誌デビューを飾ってください。

遅くなっていて申し訳ありませんが、なるべく早く「総評」を書き上げたいと思っています。

よろしく哀愁☆
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つまり、歌にはなにか一点キラリと光るものがあればそれだけでいいという考えです。もちろんこの一点は、意味においてもイメージにおいても幅の広さや深みを持ったものでないとダメなのですが。
上野短歌の場合、それは鮮烈な実風景(もしくは心象風景)でしょう。
・油蝉やかまし妹を灰にする一時間三十数分の暑(しょ)や
前回と同じく歌集『冬の旅』のなかから引きました。。「妹逝く」と題された六首の中の一首です。「一時間三十数分」と、妹の火葬が終わるまでの時間をここまで細かく言うところに鬼気迫るものを感じるんですが、歌の焦点はやはり「油蝉やかまし」でしょう。この「油蝉」の声は、作者の苦悩・懊悩・後悔の代弁者であり、作者自身がそれらに耐えきれなくなっているからこそ、「やかまし」という言葉が口をついて出てくるのです。
・宙空に波あるごとく蝶ゆれてこの葬列に従い来たる
同じく「妹逝く」から。「蝶」は死者の魂、などとよく言われますから、そういう意味ではイメージとしては手あかがついて俗っぽい感じはします。しかし「宙空に波あるごとく蝶ゆれて」という把握が面白い。この「蝶」が死者の魂だとすれば、人界とは別の世界を漂っているような感じを抱かせます。
・リストラとなりたる犬か立ちどまり路上の熟柿しばらくは嗅ぐ
紹介する歌の傾向をちょっと変えてみましょう。初句の「リストラと」が目立つんですけど、実はこれにはたいした意味はありません。
なんだか心細げに立っている犬をみて、ふと思いついたものでしょう。上野の歌には時々、こういう割と俗っぽい物言いがあります。
歌の焦点は「路上の熟柿しばらくは嗅ぐ」という具体的な犬の動作です。むしろこの動作を引き立たせるために「リストラとなりたる犬か」というフレーズがあるのです。引き立たせ役と考えれば、この「リストラ」という言葉の俗っぽさ(生臭さと言ってもいい)も生きてくるのです。
・犬よ牙よもっと咬みつけわが指のそこだけが春の香をたつるなら
もう一首犬の歌を。この歌の犬はもちろん仔犬でしょう。成犬じゃ食いちぎられちゃう。幼さ(しかし犬はあくまで獣ですから、小さくても「牙」をそなえている)ゆえのひたむきさ、そしてそれをみつめる作者自身を描いた一首です。
「そこだけが春の香をたつるなら」なんてよく思いついたなぁ、という気がします。強引といえば強引なのですが、しかしその強引さが、理屈を超えた短歌独特の味わいを醸し出すのです。

・21世紀のこと語り合う編集会誰あれもいなくなる世紀にて
『冬の旅』のラストに置かれた一首が、いまいったことを一番象徴しているでしょう。「人間は必ず死ぬ」という絶対的な真理を踏まえた上で、「編集会」という人間と人間が関係し合う場を見つめる作者。なんで人間は必ず死ぬことを知っているのに、未来や将来、希望を語り合うのか。もし結句が「世紀なのに」だったら突き放し過ぎでしょう。それに理屈っぽくなるし。「世紀にて」と簡潔に歌い収めたところに、作者の人間という存在に対する愛情を感じとっていただけたらなぁ、と思います。

【関連する記事】
大久保利通って認知度低いんですか…がーん…。<br />
そういいながら今回自分も詠んでなかったりしますが。<br />
人物が好きなのとモチーフとして詠みやすいか、ということとは別な気がします。…と言い訳しておこう(苦笑)
<br />
魚虎さんは大久保ファンでしたか。<br />
大久保麻梨子の知名度はどんどん上がってるんですけどね。<br />
<br />
逆に好きすぎると詠めないって場合もありますよね。