2008年06月22日

今夜はヘンな夜&「短歌における物語性とは」

※斉藤さんの原稿を追加しました。

今夜はヘンな夜!(永六輔のモノマネで)

なんですかいきなり・・・。

いやー、ストレートかつインパクトがあっていい曲名だなぁと思って。

さすがは永先生ですね。

9月に出る本秀康さんとの絵本の作業がいよいよ大詰めなんだけど、オチをまるごと変えたらタイトルも変えなくちゃいけなくなっちゃって、毎日暇さえあれば考えてます。
もう200くらい考えたかな・・・・・・。

師範はタイトルにこだわりますから、大変ですねぇ。

担当編集者とルノアールで、ああでもないこうでもないとやってるうちに、候補タイトルが100を越えたあたりからドツボにはまって何が何だかわからなくなって、
後で考えるとなんじゃこりゃー!っていうのに
「これいいかも!!」とか言ってるんだから、おそろしいもんですよ。

ちなみにその時「いいかも!!」と言っていたタイトルとは?

「レモン記念日」

俵万智あるいは、つんく♂プロデュースか!!

いやー、危なかったね。

それを読まされる子どもと親御さんの身になってください・・・。

はい、がんばります。
他にも時間がかかりそうな難しい仕事をしているので、
「総評」もう少々お待ちください。

読売新聞 6月25日(水)夕刊
「マイ・ヒーロー&ヒロイン」に執筆しています。
小林よしのり先生の『遅咲きじじい』を取り上げています。


朝日カルチャーセンター新宿教室にて
講座を行います!!
「念力短歌トレーニング」

曜日:水  時間:19:00-20:30  
回数:全3回
日程:7/23, 8/27, 9/24


ぜひご参加ください!!


出演させていただいた映画「その日のまえに」の撮影レポは、製作発表があってからにさせて頂きます。

var_20080622034037.jpg 先日の食事会(さびしんぼう座談会)にて。
南原清隆さん、僕、大林宣彦監督。
お二人ともオーラで輝いてらっしゃいます。

映画、名作の予感がします。お楽しみに!!

斉藤真伸さんの原稿が届きました!
では、お楽しみください。

よろしく哀愁☆

__________________________________________________

斉藤真伸です。

今年はパ・リーグ面白いなぁ。まさか楽天があそこまで善戦するとは思わんかった。

田中投手って、三十過ぎても「マー君」って言われるんだろうか?

あのチームの最大の問題点ってそこだよな。まあ、西武もG.G佐藤が大ブレイクしたし、パはスター続出で景気がいいなぁ。

ところで、清原は今年以降どうなるんだろうね?

なんか心配だよ。なんだか「おちた英雄」扱いになっちゃってるし。昔「ネクラ」の代名詞だった桑田の方が、今は憑き物が落ちた様な感じで、実に生き生きとしているもんなぁ…。

・ベースボールに憑かるるものの係累に多くし日灼けの顔面並ぶ

上野久雄歌集『冬の旅』の中の一首です。「父母の法事」という詞書(ことばがき)がついています。係累は、この一首の中では「一族」という意味で使われています。「野球に取り憑かれた一族」というのも、“犬神家”にはさすがに負けますが、なかなか壮絶な感じがしますね。
 そしてこの歌の内容を支える骨格が「日灼けの顔面並ぶ」という描写です。この描写があるからこそ、読者はこの「係累」の様子を鮮明に捉えることができるのです。

前回、「おはなし歌は、実は“おはなし”にすらなっていない」ということを話しました。この上野久雄という人は、実は僕の短歌の師匠であり、「歌はおはなしにあらず」というのが絶対の信念になっている人です。それなのにその一首一首は、奥行きのある「物語」を感じさせます。今回はその秘密をさぐることで、「短歌における物語性とはなにか?」ということに迫ってみたいと思います。


・行くところ婦女さわがせしダンディーが器具を心臓に埋めたる噂

辛辣な歌です。しかもその辛辣さは詠まれている対象と自分自身に容赦なく向けられています。「さわがせし」と過去形ですから、この「ダンディー」はけっこういい歳なのでしょう(そして作者自身も)。「器具」はおそらくペースメーカーでしょうね。「とうとうあのええ格好しいも、年老いてそこまで病んだか」という気分が歌の背景にはあります。この気分は、同情と揶揄がごたまぜになったものでしょう。
 先ほど、この歌の「辛辣さは自分自身にも向けられている」と書きました。なぜなら、相手が年老いたということは、自分もまた年老いているのですから。この歌はある男を描くことで、照射するような形で自分自身をも描き出しているのです。


・終日を親父(おやじ)のすごす家などに棲めるかと言う吾も然思う 

父と子の葛藤を描いた歌です。「終日を親父(おやじ)のすごす家などに棲めるか」という子(おそらく息子でしょう)の言い草も凄まじいのですが、「吾も然思う」とさらりと言ってしまう父(作者)も怖い。
 一首に込められた感情はドロドロとしたものですが、作者が己と子を徹底的に突き放して視ているために、かえってユーモアすら感じさせますが、本当は「吾も然思う」というのは、実に哀しいつぶやきなのです。

上野の歌は饒舌さを拒否しています。その代わり、歌に必ず「核」(コア)と言えるものを据えています。そしてこの「核」こそ、上野の歌の物語性を支えているのですが、これについてはまた次回で。

(引用歌はすべて、砂子屋書房・現代歌人文庫『上野久雄歌集』から引きました)


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